日々の雑感や、様子を綴ったコラム
-- 2014.06.24
日本の外へ出てから自然と、日本という国を、日本人としての自分を客観的に見つめ直すことが増えた。欧米・アジア諸国をはじめ、様々な国の人が入り交じる環境の中、一体自分は何者なのか、自分が自分であるためのアイデンティティを求めているからかもしれない。
近隣諸国との関係、集団的自衛権、憲法改正、経済の再生…どうするのが最善か、大いに日本国内で議論があればいいと思う。ただ、賛否の議論とは異なるもっと低レベルな「まったく的を射ていない論調」も、さも真っ当なものであるかのように一部のマスコミ・人々の間で主張されていることは、やや気がかりである。このブログ上で自分の政治的見解を表明することは避けるが、日本人が国際社会の中で生き抜いていくために…
ボクが海外に出て、強く思うようになったのは、
『なぜ日本人(の一部)は、こんなにも自虐的なのか』
ということだ。終戦直後の教育や、日本人の謙虚さが歪んだ形で蔓延ったためだと考えられるが、2014 年の今、自虐的な史観や非建設的な政権批判を繰り返すマスメディア・人々が一体どこに向かおうとしているのか、理解に苦しむ。
日本人の謙虚さをボクは美徳と思うけれども、謙虚さ と 自虐 は違う。また、反省 と 自虐 も違う。それらを踏まえて、我々に受け継がれてきた平和への誓い、文化、知的水準を振り返った時、なぜ国際社会の中で、日本が下を向く必要があるのだろうか。
ボクは、日本が今後戦争を始めたら失望するけど、日本が戦争を始めることは絶対ないと信じている。そもそも、どこの国へ日本から戦争を仕掛ける必要があるんだろうか?? 70 年前の戦争を賛美している人、悔やんでいない人が日本の政治を仕切っているなどと心配する ー ボクは、そこまで我々が馬鹿な国民だとは思っていない。
※ そんな心配をするくらいだったら、他国がどんな思惑で日本を見つめているか心配した方が現実的な気がするが…。もちろん、こういうことも起こらないと信じたいが、万が一のために国と国民を守るためにはどうすれば良いのか、紛争に発展しないようにはどうすれば良いのか、議論を重ねていく必要があるだろう。
日本人としてのアイデンティティを持ち、自分を守りながら国際社会の中で生きることは、幸せなこと。それなのに、そのための方法論の是非以外のところで、「軍国主義の復活だ」などと言いがかりを付けているのを見ると、どれほど自分達に自信が持てないのかと、情けなくなる。もしそのような主張が本心でなく、単に “戦争はダメ” という感情論にすり替えているだけならば、あまりに短絡的という他ない。
自虐的になってしまった日本人は、国際社会の中でもっと 謙虚な自信 を持ち、インターナショナル になるべきだと思う。一度日本の外に出てみると、自ずと日本という国、そして自分の存在を認識し直すことになるだろう。それがメインの目的で海外旅行なり留学するわけではないが、必ずやそのきっかけを与えてくれる。少なくともボクは、一般的に日本人が日本人としてのアイデンティティを持ち、いたずらに遜ることなく振る舞う素養があると思う。もし日本人としてのアイデンティティにこだわりがない人は、そのまま飛び出してしまえばいい!! 個人レベルでは、それだけの話。
インターナショナル と書いたのは、各人が(日本人として、あるいはそれ以外の場合でも)アイデンティティを持つべきだから。アイデンティティを持ちつつ、それぞれの立場の理解にも努める。これは、グローバル(世界を均一的に捉える)とは意味合いが異なる。
『日本の産業はグローバルに、そして個々の日本人はインターナショナルに世界を生きる』
ー これが日本の目指すべき真の「国際化」ということではないだろうか。どうか自滅することなく、日本が世界を生き抜いていけますように。
近隣諸国との関係、集団的自衛権、憲法改正、経済の再生…どうするのが最善か、大いに日本国内で議論があればいいと思う。ただ、賛否の議論とは異なるもっと低レベルな「まったく的を射ていない論調」も、さも真っ当なものであるかのように一部のマスコミ・人々の間で主張されていることは、やや気がかりである。このブログ上で自分の政治的見解を表明することは避けるが、日本人が国際社会の中で生き抜いていくために…
ボクが海外に出て、強く思うようになったのは、
『なぜ日本人(の一部)は、こんなにも自虐的なのか』
ということだ。終戦直後の教育や、日本人の謙虚さが歪んだ形で蔓延ったためだと考えられるが、2014 年の今、自虐的な史観や非建設的な政権批判を繰り返すマスメディア・人々が一体どこに向かおうとしているのか、理解に苦しむ。
日本人の謙虚さをボクは美徳と思うけれども、謙虚さ と 自虐 は違う。また、反省 と 自虐 も違う。それらを踏まえて、我々に受け継がれてきた平和への誓い、文化、知的水準を振り返った時、なぜ国際社会の中で、日本が下を向く必要があるのだろうか。
ボクは、日本が今後戦争を始めたら失望するけど、日本が戦争を始めることは絶対ないと信じている。そもそも、どこの国へ日本から戦争を仕掛ける必要があるんだろうか?? 70 年前の戦争を賛美している人、悔やんでいない人が日本の政治を仕切っているなどと心配する ー ボクは、そこまで我々が馬鹿な国民だとは思っていない。
※ そんな心配をするくらいだったら、他国がどんな思惑で日本を見つめているか心配した方が現実的な気がするが…。もちろん、こういうことも起こらないと信じたいが、万が一のために国と国民を守るためにはどうすれば良いのか、紛争に発展しないようにはどうすれば良いのか、議論を重ねていく必要があるだろう。
日本人としてのアイデンティティを持ち、自分を守りながら国際社会の中で生きることは、幸せなこと。それなのに、そのための方法論の是非以外のところで、「軍国主義の復活だ」などと言いがかりを付けているのを見ると、どれほど自分達に自信が持てないのかと、情けなくなる。もしそのような主張が本心でなく、単に “戦争はダメ” という感情論にすり替えているだけならば、あまりに短絡的という他ない。
自虐的になってしまった日本人は、国際社会の中でもっと 謙虚な自信 を持ち、インターナショナル になるべきだと思う。一度日本の外に出てみると、自ずと日本という国、そして自分の存在を認識し直すことになるだろう。それがメインの目的で海外旅行なり留学するわけではないが、必ずやそのきっかけを与えてくれる。少なくともボクは、一般的に日本人が日本人としてのアイデンティティを持ち、いたずらに遜ることなく振る舞う素養があると思う。もし日本人としてのアイデンティティにこだわりがない人は、そのまま飛び出してしまえばいい!! 個人レベルでは、それだけの話。
インターナショナル と書いたのは、各人が(日本人として、あるいはそれ以外の場合でも)アイデンティティを持つべきだから。アイデンティティを持ちつつ、それぞれの立場の理解にも努める。これは、グローバル(世界を均一的に捉える)とは意味合いが異なる。
『日本の産業はグローバルに、そして個々の日本人はインターナショナルに世界を生きる』
ー これが日本の目指すべき真の「国際化」ということではないだろうか。どうか自滅することなく、日本が世界を生き抜いていけますように。
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-- 2014.05.27
先日、日本の文具メーカー PILOT の『フリクションボール』というペンをもらった。普通の水性ボールペンと違うのは、ペン先の反対側にあるゴムでこすると、インクが消える点。ボールペンの文字を消す必要性があるのかどうかは不明だが、面白いので愛用している。
いったいどういう仕組みだろう?ペンの側面を見るとこんな注意書きがある↓↓↓
・60℃以上になるとインキが無色になります。
・−10℃前後になると消去した筆跡が戻る場合があります。
なるほど。このペンの性質と注意書きからわかるのは、使われているインキが熱応答性をもち、常温付近において二つの状態(色付きと透明)を取り得るということだ。
下の図を見てほしい↓↓↓
フリクションボールで紙に書いたインクをゴムでこすると 摩擦熱 が発生する。この摩擦熱で60℃以上まで局所的に熱をもったインクは、色付きの状態から透明な状態へと遷移する。常温付近へ戻るときは透明な状態を保っている(図の黒矢印)から、インクは消えたままである。
しかし、インクの成分がなくなったわけではなく、あくまで透明になっただけ。従って、さらに温度を下げていくと、ある点(マイナス10℃付近)で透明な状態から色付きの状態へと戻る。実際に、一度こすって消したインキの上に ドライアイス を押し当てると、文字が再び浮き上がってきた(← 実験室で試していたら、ラボのメンバーも大喜び)。
図に示したような曲線を ヒステリシス といい、磁石に近づけたクリップが磁石になる現象(磁化)や、形状記憶合金 なども同じようなヒステリシスに基づく。フリクションボールに具体的にどんなインク材料が使われているのかはわからない(特許は公開されている模様)が、実によくできているな。こういうインクを狙って作るのはかなり難しいと思うので、おそらく一番最初のきっかけは偶然の発見によるものと推測する。
ところで、フリクションボールの注意書きには
・証書類・宛名書きには使用できません。
ともある。どうやらこれは、『フリクションボールを使って公式文書を不正に書き換え』という最近の事件を苦慮してのものと思われる。
勤務表をフリクションボールで記入
→ 上司の許可印をもらう
→ 消して都合良く書き換えた後、経理に提出(余分にお金を受給)
という寸法らしい。よく考えたものだ(苦笑)
上司のみなさんは、疑わしい人物が提出してきた書類は 冷凍庫 にしばらく保管しておくとよい。不正はすぐに見抜ける (^ ^;)
いったいどういう仕組みだろう?ペンの側面を見るとこんな注意書きがある↓↓↓
・60℃以上になるとインキが無色になります。
・−10℃前後になると消去した筆跡が戻る場合があります。
なるほど。このペンの性質と注意書きからわかるのは、使われているインキが熱応答性をもち、常温付近において二つの状態(色付きと透明)を取り得るということだ。
下の図を見てほしい↓↓↓
フリクションボールで紙に書いたインクをゴムでこすると 摩擦熱 が発生する。この摩擦熱で60℃以上まで局所的に熱をもったインクは、色付きの状態から透明な状態へと遷移する。常温付近へ戻るときは透明な状態を保っている(図の黒矢印)から、インクは消えたままである。
しかし、インクの成分がなくなったわけではなく、あくまで透明になっただけ。従って、さらに温度を下げていくと、ある点(マイナス10℃付近)で透明な状態から色付きの状態へと戻る。実際に、一度こすって消したインキの上に ドライアイス を押し当てると、文字が再び浮き上がってきた(← 実験室で試していたら、ラボのメンバーも大喜び)。
図に示したような曲線を ヒステリシス といい、磁石に近づけたクリップが磁石になる現象(磁化)や、形状記憶合金 なども同じようなヒステリシスに基づく。フリクションボールに具体的にどんなインク材料が使われているのかはわからない(特許は公開されている模様)が、実によくできているな。こういうインクを狙って作るのはかなり難しいと思うので、おそらく一番最初のきっかけは偶然の発見によるものと推測する。
ところで、フリクションボールの注意書きには
・証書類・宛名書きには使用できません。
ともある。どうやらこれは、『フリクションボールを使って公式文書を不正に書き換え』という最近の事件を苦慮してのものと思われる。
勤務表をフリクションボールで記入
→ 上司の許可印をもらう
→ 消して都合良く書き換えた後、経理に提出(余分にお金を受給)
という寸法らしい。よく考えたものだ(苦笑)
上司のみなさんは、疑わしい人物が提出してきた書類は 冷凍庫 にしばらく保管しておくとよい。不正はすぐに見抜ける (^ ^;)
-- 2014.05.26
昔、学校で「○○ の作者は ××」とか「△△ の原子番号は ××」などと覚えさせられて、テスト前に苦しんだ人も多いだろう。その大半は、正直知らなくても生きていくのに困らない。だから、何の役にも立たない、覚える意味なんてない。でも、それって本当だろうか?
大学生くらいまで “知らない事が むしろかっこいい” と思うことがあった。例えば、アイドル好きの人に「○○ちゃん知ってる?」と聞かれて、
「そんなの知らねぇよ。オレ、そーいうアイドルとか全く興味ないし (– –;)」
と答え、自分がアイドルについて知らないことに満足感を覚えていた。今でも、アイドルの話をされても正直フォローできないことが多いのが実情だが、しかし、知らないことがあるのに満足感を覚えるのは未熟な心情だったなと思うようになった。
『知る必要のないこと』『知っていても発信する必要のないこと』は、世の中にはたくさんある。そもそも全部を知ることなんて無理だ。けれど、自分が知らないことに開き直るよりも、知ろうとする・知った上で必要なものを取捨選択する ー そんな姿勢の方が得られるものは大きいような気がする。しばしば耳にする「知らない事を恥じるな」という教訓は逆説的で、つまりは「知ることに躊躇するな」と解釈していいだろう。
色々なバックグラウンドを持つ人と接すると、必然的に話題は多岐にわたり、
「もっと世界史を勉強しておいた方がよかったな。」
「レディーガガの曲名の一つや二つ、知ってた方が話が盛り上がったな。」
「ドラゴンボールやスラムダンクなど日本の人気マンガを見たことあったら、『オマエはリアルジャパニーズじゃない!』なんて罵倒されずに済んだかな。」
と、自分の無知が故に、会話が広がらなかったことを悔いることがよくある。
世の中、どこでどんな知識・話題 が役に立つかわからないのだ!
噂好きや情報通などという低次元ではないところで、色々な人と話が通じる・対応できる…これが、常識がある、教養が深いということではないだろうか。
はて、色々な人と接するわりには、情報入力に偏りがあると思われるアツローはどうしたらよいだろうか。残念がら記憶力には、まったく自信がない。ボクみたいな人間がいるから、「科学者は常識がない、浮世離れしている」と言われてしまうんだな (^ ^;)
科学者は、誰も知らないことを知ること(常識を覆し、新しい常識を作ること)に情熱は燃やすが、それ以外のことに対しては急速に興味を失うという ステレオタイプ 。
むむむ、なんだかその不名誉な “常識を覆す” ために、知識力の向上に意欲が湧いてきたぞ(笑)
大学生くらいまで “知らない事が むしろかっこいい” と思うことがあった。例えば、アイドル好きの人に「○○ちゃん知ってる?」と聞かれて、
「そんなの知らねぇよ。オレ、そーいうアイドルとか全く興味ないし (– –;)」
と答え、自分がアイドルについて知らないことに満足感を覚えていた。今でも、アイドルの話をされても正直フォローできないことが多いのが実情だが、しかし、知らないことがあるのに満足感を覚えるのは未熟な心情だったなと思うようになった。
『知る必要のないこと』『知っていても発信する必要のないこと』は、世の中にはたくさんある。そもそも全部を知ることなんて無理だ。けれど、自分が知らないことに開き直るよりも、知ろうとする・知った上で必要なものを取捨選択する ー そんな姿勢の方が得られるものは大きいような気がする。しばしば耳にする「知らない事を恥じるな」という教訓は逆説的で、つまりは「知ることに躊躇するな」と解釈していいだろう。
色々なバックグラウンドを持つ人と接すると、必然的に話題は多岐にわたり、
「もっと世界史を勉強しておいた方がよかったな。」
「レディーガガの曲名の一つや二つ、知ってた方が話が盛り上がったな。」
「ドラゴンボールやスラムダンクなど日本の人気マンガを見たことあったら、『オマエはリアルジャパニーズじゃない!』なんて罵倒されずに済んだかな。」
と、自分の無知が故に、会話が広がらなかったことを悔いることがよくある。
世の中、どこでどんな知識・話題 が役に立つかわからないのだ!
噂好きや情報通などという低次元ではないところで、色々な人と話が通じる・対応できる…これが、常識がある、教養が深いということではないだろうか。
はて、色々な人と接するわりには、情報入力に偏りがあると思われるアツローはどうしたらよいだろうか。残念がら記憶力には、まったく自信がない。ボクみたいな人間がいるから、「科学者は常識がない、浮世離れしている」と言われてしまうんだな (^ ^;)
科学者は、誰も知らないことを知ること(常識を覆し、新しい常識を作ること)に情熱は燃やすが、それ以外のことに対しては急速に興味を失うという ステレオタイプ 。
むむむ、なんだかその不名誉な “常識を覆す” ために、知識力の向上に意欲が湧いてきたぞ(笑)
-- 2014.04.27
ソチオリンピックがもう遥か昔のことのようだが、それはさておき今の研究室の同僚にソチの近く出身の ロシア人 Aくんがいる。
この Aくん、これまで一流大学を渡り歩いてきた頭のいいヤツだが、非常に 強烈な個性 の持ち主である。日本であまり出会ったことのないタイプな気がする。良い面は、
(1)世話好き(研究室のありとあらゆる雑務を把握している。)
(2)みんなをまとめようとする団結精神
(3)理路整然とした話術
一方、アツロー的に付き合いにくいなと感じてしまう面は、
(1)おしゃべり好き過ぎ(研究に集中しているとイラッとするほど、常に誰かとペチャクチャ…)
(2)しかも、かなり言葉が汚い(3語に1語は 禁句 が含まれる。)
(3)がががが 頑固
同じ部屋にいることもあり、たまにディスカッションもする。彼の得意分野や優れた才能を買った上で、
「やろうとしているプロジェクトは、キミがやるような内容じゃない(サイエンスじゃない)。
もっと ●● したらいいんじゃないか?」
と 控えめに発言 したりすることもあるのだが、ボクよりも頑固で口達者な彼と共鳴することはなかなか難しい。
先日、そんな Aくんと話していたとき、意外な事 を聞いた。あれだけ意志表示のはっきりした人物なので、自分の進路は当然、明確に見据えているものと思っていた。ところが、彼は 企業 に行くか アカデミア(大学や研究所)に進むか悩んでいて、しかも「自分が将来何をやりたいのかわからない」と言う。唯一の希望は、
「自分にあった選択をして、仕事で家族を犠牲にすることなく、幸せに暮らしたい。」
ことだそうだ。自分の事と研究の生産性しか考えていないと思っていたAくんの 人間味 を初めて感じたような気がした(笑)彼も、研究を生業とする者が考えるであろう悩みや望みを持っていたのか、と。
しかし、将来の選択において Aくんとボクで 決定的に違うこと が一つある。それは、彼は自分の故郷であるロシアで職を得るという選択肢を全く考えていないことだ。彼曰く、
「企業にせよアカデミアにせよ、科学をやる環境としてロシアは F-word (禁句) だ。」
と。(状況が変わりつつあるとはいえ、)同じような事を中国人から聞くことも多い。
これは、日本の科学力と自分が日本で受けてきた教育に誇りを持っているボクには、非常に可哀想なことに思える。ボクは、日本で研究をしていたら世界と戦えないとは思っていない。もちろん、日本とアメリカの科学力・研究環境を比較してアメリカの方が優れているな、と思う点もたくさんある。しかし、ボクの発想は「アメリカの方が優れている点は日本にも取り入れたらいいじゃないか」であって、「日本は劣っているからダメ」とは 今のところは ならない。
尤も個人レベルの話でいえば、各々がやりたいことができる居場所があるなら、たとえそれが自分の故郷ではなくても、必ずしも可哀想なことではないのかもしれない。
というか、アメリカという国 は、そういう人達で成り立っているんだし。
けれども、アメリカ国民になるため、グリーンカード取得に情熱を燃やしている彼らの姿を見ると、エネルギーを注ぐ場所が僕とは違うんだな、と思わざるを得ないのである。逆に、日本人の場合はもっとアメリカや他の国でポジションを得るという選択肢を増やして、自分に最適な居場所を求めて海外に出る人を増やした方がいいのかもしれないが…
強烈だけど、優秀なロシア人の彼がどういう選択をするのか、今後研究者として人間として何を考えていくのか、興味深い。ボクはボクで、こういった個性溢れる世界の優秀な頭脳達と張り合っていけるように、自分に磨きをかけていかないと!口喧嘩 !? で負けない力も。
この Aくん、これまで一流大学を渡り歩いてきた頭のいいヤツだが、非常に 強烈な個性 の持ち主である。日本であまり出会ったことのないタイプな気がする。良い面は、
(1)世話好き(研究室のありとあらゆる雑務を把握している。)
(2)みんなをまとめようとする団結精神
(3)理路整然とした話術
一方、アツロー的に付き合いにくいなと感じてしまう面は、
(1)おしゃべり好き過ぎ(研究に集中しているとイラッとするほど、常に誰かとペチャクチャ…)
(2)しかも、かなり言葉が汚い(3語に1語は 禁句 が含まれる。)
(3)がががが 頑固
同じ部屋にいることもあり、たまにディスカッションもする。彼の得意分野や優れた才能を買った上で、
「やろうとしているプロジェクトは、キミがやるような内容じゃない(サイエンスじゃない)。
もっと ●● したらいいんじゃないか?」
と 控えめに発言 したりすることもあるのだが、ボクよりも頑固で口達者な彼と共鳴することはなかなか難しい。
先日、そんな Aくんと話していたとき、意外な事 を聞いた。あれだけ意志表示のはっきりした人物なので、自分の進路は当然、明確に見据えているものと思っていた。ところが、彼は 企業 に行くか アカデミア(大学や研究所)に進むか悩んでいて、しかも「自分が将来何をやりたいのかわからない」と言う。唯一の希望は、
「自分にあった選択をして、仕事で家族を犠牲にすることなく、幸せに暮らしたい。」
ことだそうだ。自分の事と研究の生産性しか考えていないと思っていたAくんの 人間味 を初めて感じたような気がした(笑)彼も、研究を生業とする者が考えるであろう悩みや望みを持っていたのか、と。
しかし、将来の選択において Aくんとボクで 決定的に違うこと が一つある。それは、彼は自分の故郷であるロシアで職を得るという選択肢を全く考えていないことだ。彼曰く、
「企業にせよアカデミアにせよ、科学をやる環境としてロシアは F-word (禁句) だ。」
と。(状況が変わりつつあるとはいえ、)同じような事を中国人から聞くことも多い。
これは、日本の科学力と自分が日本で受けてきた教育に誇りを持っているボクには、非常に可哀想なことに思える。ボクは、日本で研究をしていたら世界と戦えないとは思っていない。もちろん、日本とアメリカの科学力・研究環境を比較してアメリカの方が優れているな、と思う点もたくさんある。しかし、ボクの発想は「アメリカの方が優れている点は日本にも取り入れたらいいじゃないか」であって、「日本は劣っているからダメ」とは 今のところは ならない。
尤も個人レベルの話でいえば、各々がやりたいことができる居場所があるなら、たとえそれが自分の故郷ではなくても、必ずしも可哀想なことではないのかもしれない。
というか、アメリカという国 は、そういう人達で成り立っているんだし。
けれども、アメリカ国民になるため、グリーンカード取得に情熱を燃やしている彼らの姿を見ると、エネルギーを注ぐ場所が僕とは違うんだな、と思わざるを得ないのである。逆に、日本人の場合はもっとアメリカや他の国でポジションを得るという選択肢を増やして、自分に最適な居場所を求めて海外に出る人を増やした方がいいのかもしれないが…
強烈だけど、優秀なロシア人の彼がどういう選択をするのか、今後研究者として人間として何を考えていくのか、興味深い。ボクはボクで、こういった個性溢れる世界の優秀な頭脳達と張り合っていけるように、自分に磨きをかけていかないと!口喧嘩 !? で負けない力も。
-- 2014.04.22
-- 2014.04.05