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日々の雑感や、様子を綴ったコラム
-- 2025.01.11
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-- 2014.12.09
つくばのアウトドア店で、ボルダリング 体験をした。デコボコの人工岩の壁面を登っていくスポーツ。

 山登り用のズボンに着替えて、気合いを入れてスタート。

インストラクター「なかなか上手ですね。やったことあるんですか?」

アツロー「ないですけど、山登りはやったりします( ̄^ ̄)」

簡単なコースはすいすい行けるが、調子に乗って難易度の高いコースに挑戦すると、途中で落ちたりする。そんなのを繰り返しながら、40分くらい経過した頃、ある異変 が。

やべぇ、山登り用のズボン…破けてた (•_•)

壁面から床マットに落ちた時に、おそらくどこかに引っかかったのだろう。ド派手にズボンのおしり側が破れていた。しばらくの間、その破れたおしり側をみんなに見せながら壁をよじ登っていたことになる。。。あぁ、お気に入りの山用ズボンだったんだけどな。しかも、こんな日に限って、友人()からギャグ(!?)でもらった

くまのプーさんの黄色いパンツ 履いてたなんて!! (- -;)

 その後は、ボルダリングどころじゃなくなって、おしり付近を手で押さえながら、体験時間終了を待ったのであった。




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-- 2014.10.06
すっかりご無沙汰してしまいました。これだけ間が空いてしまうと、いったい何を書いていいのかわからなくなってしまいますが。。。

 シカゴからつくばに来て一ヶ月以上が経ちました。前に住んでいた土地に戻ってきたので、だいぶ生活も研究もセットアップはやりやすかったのですが、それでもまだテレビ台が段ボール箱の状態です(笑)

 日本に帰国して、やっぱりご飯が美味しいなぁ、そして生活も便利だなぁとしみじみ思います。一方で、少しアメリカの環境に慣れて帰国後に気になるようになった点もいくつかあります。

その1
「謝りすぎ」
羽田で飛行機が予定より15分遅れた。そしたら、搭乗口でも機内でも謝りっぱなし。電車が人身事故で遅れた時も、毎駅ごとに車掌が謝る。そんなに謝らなくてもいいんじゃないかな…。そんなに謝るから、自分は偉いんだと勘違いするお客さんが出てきてしまうのでは!? 尤も、公衆の前でほとんど謝ることのないアメリカスタイル(個人レベルではそんなことはない)もどうかと思うけどね。

その2
「人多すぎ」
これはどうしようもないことだけど、日本は人口密度が高いなと改めて感じた。ニューヨークですら、東京並みに混んでいるのはごく一部だけのような気がする。シカゴだと、混んでいるといってもたかが知れている。密集地を歩くストレスがないのと、電車に自転車を乗せてもオッケーだったシカゴが少し懐かしい。

その3
「きっちりしすぎ」
日本のシステムの厳密さ、緻密さには良くも悪くも驚かされる。困っているのは、研究で必要な試薬や物品を購入するのに正直かなり手間がかかること。事務処理上の厳密さを確保したい気持ちは理解できるのだが、研究者が不正や癒着をするかもしれないという前提で事務処理を進められるのは、けっこう虚しい(苦笑)ノースウェスタン大ではもっといい加減だった、つまりお互いの信頼関係の上で試薬や物品が管理されていた。どうせ厳密に事務をやっても不正をする教授や号泣議員のような輩は出てくるのだから、システムはもっと柔軟にしてもよいのでは!? 大多数のまともな人間の時間と手間を事務処理に費やす損失を考えると、結局不合理な気がする。
(上の方で決まっていることだから、下が騒いでもどうしようもないんだけど。)

その4
「スタバ高すぎ」
日本のスタバの S サイズはアメリカの量の半分、値段は倍だということを再認識。ほぼ毎日通っていたスタバにはめっきり行かなくなった。マックとコンビニの百円コーヒーは良いが、研究所の周りにないのが残念。。。

 テキトーなアツローよりも、もっとテキトーなアメリカと、きっちりしている日本。どっちがいいんでしょうか?因みに、アメリカがどれくらいテキトーかというと、ファストフード店で名前を聞かれて「Atsuro」と答えたら、こう書かれるくらいです。



というわけで、またボチボチ更新していきます。
-- 2014.08.17
今日のシカゴは天気が悪いです。
ボクがシカゴを去るから、お空も泣いているのかな!?(^_^;)

さらば、シカゴ! 
-- 2014.07.10
アメリカに来て以来、スターバックスに頻繁に行くようになった。理由はただ一つ、

「日本のスタバの 半額 でコーヒーが飲めるから」

小さいので $1.6 くらい。ただし、キャラメルなんちゃらといった甘いヤツは、日本と変わらないかも。。。コーヒーしか飲まないボクには関係ないが。

 定番のコーヒーに加え、最近は マカデミアナッツの香り のするフレーバーコーヒーもお気に入り。スタバ以外にもいくつかのカフェには頻繁に行くが、気を付けなければいけないのは、店を間違えると、究極に薄〜い “アメリカンコーヒー” が出てくること。イタリア人のリカルドは、この薄いコーヒーを飲んで、

「これは コーヒーじゃない、Coffee-Flavored Water だな。」

と言っていた。さすがエスプレッソ好きのイタリア人の感想は、ひと味違うな。
-- 2014.07.09
Google に 音声認識機能 というのがある。

 スマホのマイクに向かってしゃべると、その音声を聞き取って検索してくれる。スマホの小さな画面上で文字を打つよりも早いから、使う人も多いとか(飛行機で隣の人がいきなり使い始めて、ギョッとしたことがある)。ボクは、本来の検索目的でこれを使うことはあまりないのだが、最近は 英語の発音チェック のために使っている。

 まず、音声認識の言語設定を英語にする。次にマイクに向かって英単語* を言ってみる。ボクの発音が正しければ、ちゃんと認識されて検索窓に単語を表示してくれるが、間違っていれば異なる単語が表示されてしまう。色々な単語を試してみたが、ボクにとって難しいのは、

World, Word, Girl, Calculate, など

World と発音したつもりでも、WordWallet と表示されることしばしば。。。
悔しいかな、これをアメリカ人にやらせると、必ず正しい単語が表示されるので、やはりボクの発音が良くないことがわかる (> <)

 色々な言語に設定できるので、ノンネイティブの言葉を使うことがあるみなさんは、ぜひお試しあれ!


* Google はかしこいので、文章を言うと多少発音がおかしくても、文脈を加味して認識してくれる。"It's a small worルド"  と言えば、間違いなく "world" と認識する。発音チェックの目的では、一単語のみを発音して認識するかトライしよう。

-- 2014.06.24
日本の外へ出てから自然と、日本という国を、日本人としての自分を客観的に見つめ直すことが増えた。欧米・アジア諸国をはじめ、様々な国の人が入り交じる環境の中、一体自分は何者なのか、自分が自分であるためのアイデンティティを求めているからかもしれない。

 近隣諸国との関係、集団的自衛権、憲法改正、経済の再生…どうするのが最善か、大いに日本国内で議論があればいいと思う。ただ、賛否の議論とは異なるもっと低レベルな「まったく的を射ていない論調」も、さも真っ当なものであるかのように一部のマスコミ・人々の間で主張されていることは、やや気がかりである。このブログ上で自分の政治的見解を表明することは避けるが、日本人が国際社会の中で生き抜いていくために…



 ボクが海外に出て、強く思うようになったのは、

『なぜ日本人(の一部)は、こんなにも自虐的なのか』

ということだ。終戦直後の教育や、日本人の謙虚さが歪んだ形で蔓延ったためだと考えられるが、2014 年の今、自虐的な史観や非建設的な政権批判を繰り返すマスメディア・人々が一体どこに向かおうとしているのか、理解に苦しむ。
 日本人の謙虚さをボクは美徳と思うけれども、謙虚さ自虐 は違う。また、反省自虐 も違う。それらを踏まえて、我々に受け継がれてきた平和への誓い、文化、知的水準を振り返った時、なぜ国際社会の中で、日本が下を向く必要があるのだろうか。

 ボクは、日本が今後戦争を始めたら失望するけど、日本が戦争を始めることは絶対ないと信じている。そもそも、どこの国へ日本から戦争を仕掛ける必要があるんだろうか?? 70 年前の戦争を賛美している人、悔やんでいない人が日本の政治を仕切っているなどと心配する ー ボクは、そこまで我々が馬鹿な国民だとは思っていない。
※ そんな心配をするくらいだったら、他国がどんな思惑で日本を見つめているか心配した方が現実的な気がするが…。もちろん、こういうことも起こらないと信じたいが、万が一のために国と国民を守るためにはどうすれば良いのか、紛争に発展しないようにはどうすれば良いのか、議論を重ねていく必要があるだろう。

 日本人としてのアイデンティティを持ち、自分を守りながら国際社会の中で生きることは、幸せなこと。それなのに、そのための方法論の是非以外のところで、「軍国主義の復活だ」などと言いがかりを付けているのを見ると、どれほど自分達に自信が持てないのかと、情けなくなる。もしそのような主張が本心でなく、単に “戦争はダメ” という感情論にすり替えているだけならば、あまりに短絡的という他ない。



 自虐的になってしまった日本人は、国際社会の中でもっと 謙虚な自信 を持ち、インターナショナル になるべきだと思う。一度日本の外に出てみると、自ずと日本という国、そして自分の存在を認識し直すことになるだろう。それがメインの目的で海外旅行なり留学するわけではないが、必ずやそのきっかけを与えてくれる。少なくともボクは、一般的に日本人が日本人としてのアイデンティティを持ち、いたずらに遜ることなく振る舞う素養があると思う。もし日本人としてのアイデンティティにこだわりがない人は、そのまま飛び出してしまえばいい!! 個人レベルでは、それだけの話。

 インターナショナル と書いたのは、各人が(日本人として、あるいはそれ以外の場合でも)アイデンティティを持つべきだから。アイデンティティを持ちつつ、それぞれの立場の理解にも努める。これは、グローバル(世界を均一的に捉える)とは意味合いが異なる。

『日本の産業はグローバルに、そして個々の日本人はインターナショナルに世界を生きる』

ー これが日本の目指すべき真の「国際化」ということではないだろうか。どうか自滅することなく、日本が世界を生き抜いていけますように。
-- 2014.05.26
昔、学校で「○○ の作者は ××」とか「△△ の原子番号は ××」などと覚えさせられて、テスト前に苦しんだ人も多いだろう。その大半は、正直知らなくても生きていくのに困らない。だから、何の役にも立たない、覚える意味なんてない。でも、それって本当だろうか?

 大学生くらいまで “知らない事が むしろかっこいい と思うことがあった。例えば、アイドル好きの人に「○○ちゃん知ってる?」と聞かれて、

「そんなの知らねぇよ。オレ、そーいうアイドルとか全く興味ないし (– –;)」

と答え、自分がアイドルについて知らないことに満足感を覚えていた。今でも、アイドルの話をされても正直フォローできないことが多いのが実情だが、しかし、知らないことがあるのに満足感を覚えるのは未熟な心情だったなと思うようになった。

 『知る必要のないこと』『知っていても発信する必要のないこと』は、世の中にはたくさんある。そもそも全部を知ることなんて無理だ。けれど、自分が知らないことに開き直るよりも、知ろうとする・知った上で必要なものを取捨選択する ー そんな姿勢の方が得られるものは大きいような気がする。しばしば耳にする「知らない事を恥じるな」という教訓は逆説的で、つまりは「知ることに躊躇するな」と解釈していいだろう。

 色々なバックグラウンドを持つ人と接すると、必然的に話題は多岐にわたり、

「もっと世界史を勉強しておいた方がよかったな。」
「レディーガガの曲名の一つや二つ、知ってた方が話が盛り上がったな。」
「ドラゴンボールやスラムダンクなど日本の人気マンガを見たことあったら、『オマエはリアルジャパニーズじゃない!』なんて罵倒されずに済んだかな。」

と、自分の無知が故に、会話が広がらなかったことを悔いることがよくある。

世の中、どこでどんな知識・話題 が役に立つかわからないのだ!

 噂好きや情報通などという低次元ではないところで、色々な人と話が通じる・対応できる…これが、常識がある、教養が深いということではないだろうか。


 はて、色々な人と接するわりには、情報入力に偏りがあると思われるアツローはどうしたらよいだろうか。残念がら記憶力には、まったく自信がない。ボクみたいな人間がいるから、「科学者は常識がない、浮世離れしている」と言われてしまうんだな (^ ^;)

 科学者は、誰も知らないことを知ること(常識を覆し、新しい常識を作ること)に情熱は燃やすが、それ以外のことに対しては急速に興味を失うという ステレオタイプ

 むむむ、なんだかその不名誉な 常識を覆す” ために、知識力の向上に意欲が湧いてきたぞ(笑)
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